令和哲学カフェ 第20回に参加しました!
これからの常識にとどまらない考え方・生き方・ものの見方・聞き方・学び方のヒントがたくさんつまった令和哲学を通じて交流できるのが「令和哲学カフェ」です。
今回は「尊厳」のテーマの第5回目(まとめ)でした。
参加した感想を一言で言えば、
尊厳が底上げされる回でした!
今回は、私が印象に残ったポイントをいくつか書いてみたいと思います。
まず印象に残ったこと1つ目は、
令和哲学カフェ発起人でファシリテーターのNoh先生から飛んできたこんな質問でした。
それは「自分が人間が科学技術の開発対象になるとしたら気持ちいいですか?」
という質問です。
私はそのことをイメージして考えてみたのですが、とても気持ちいいとは思えませんでした。
そしてどこか人間の尊厳が破壊されるような感覚を覚えました。
でも次の話を聞いたときに、その感覚が消えていったのです。
科学技術は「認識対象」を開発するもので、
科学技術の開発対象にならないもの=科学技術では開発不可能もの=「認識主体」
を開発するのが哲学です。
この論理展開で、改めてこの話を聞いた時に、科学技術の明確な限界と、この時代に哲学が必要だということを感じることができましたし、
哲学によって人間が尊厳を獲得し、尊厳のある生き方ができるのだと感じました。
印象に残ったこと2つ目は、Noh先生による「尊厳とは?」に対する解説です。
6つの項目で整理されていましたが、その内容自体がすごく尊厳を感じるものでした。
最高の結集と生産を生み出す認識能力という規定や、既存社会で使われているる尊厳という概念も整理しつつ、令和哲学から観たら尊厳以外はないという明確な言い切りや確信にも感動しました。
令和哲学カフェでは、合間合間でディスカッションしたりする時間があるので、自分でも考えたり整理してみたりするのですが、Noh先生は、毎回、どうしてこんなにシャープな整理ができるのだろうと驚くことばかりです。
また、Q&Aの時間で印象的だったのは、
「尊厳関係がないことが実は最悪の地獄」という話でした。
私自身、尊厳関係がないことが前提で、尊厳関係があることの天国を意識することはありましたが、
尊厳関係があるところを前提にして、尊厳関係がないことの地獄をイメージしたことがありませんでした。
なので、尊厳関係がないことが地獄だという表現を聞いて、ハッとし、どういうことか理解したいという気持ちが芽生えました。
Noh先生の話を聞いていくと、
尊厳関係がない状態は、お互い人間がなんなのかわからない、どこからどこに向かっているのかもわからず、人工呼吸器をつけられて無理やり生かされているような状態。そして、騙す/騙されるゲームの中で愛したくても愛せないし、実は傷だらけになっている状態だということを認識できたのです。
尊厳や尊厳関係の必要性を感じることができました。
最後には、Noh先生から、
次回のテーマ「美しい考え」に対して、
「地球上に生まれたたくさんの人たちの考えがありますが、地球上に生まれたどんな考えよりも美しい考えをやってみようと思いませんか?」という投げかけがありました。
私は、この質問自体が美しくて、香り高くて、感動してしまいました。
正直、「考え」ひとつに対して、そこまで深く考えたことがなかったですし、普段何気なくしている「考え」に対して美しさを追求したことがありませんでした。
でも、一人一人の「考え」ひとつもそんな美しい考えにできたら、人間社会はどんなに希望に変わっていくのだろうと思いました。
明日からの新しいテーマ「美しい考え」
どんな気づきがあふれるか楽しみです!