kenyaのブログ

30歳日本男子。ダイナミックに、革命的に、創造的に、爆発的に生きたいのに、我慢して合わせるばかりの人生。このままじゃ死ねないから踏ん張る姿をありのまま綴る成長ブログ。

人間と自然の分離について

先週は、久しぶりに友達と高尾山に行きました。

 

自然の中で感じたこと

 

都会にいると、人間と人間社会は、自然とは分離断絶されていて、関係のないもののように感じやすくなる

 

朝から夜まで明るい

 

一年を通して同じようなものが食べられる

 

昼夜、季節、その移ろいや変化を感じにくくあるなと思います。

 

 

ふと自然の中にいると、

 

あー繋がってるやなぁと感じることができました。

 

人間は本当に環境の影響によってできているし、

 

脳の認識のクセによって、分けて違いを認識しやすくなっているんだと感じました。

 

 

小学生くらいから、私の一つの問題意識に、

環境問題がありました。

 

端的に言えば、なんで自然と人間はもっと仲良くなれないのか?ということでした。

 

 

大学で授業を受けて勉強するけど、わかる気がしない。

 

そこでわかろうとすることを諦めつつ、どうしたらいいのだろうと考えて、気づいたのが、人間そのものの本質的な変化が必要だということ。

 

でも具体的に何をどう変えればいいのかわからなかった。

 

 

そんな時に出会ったのがnTechでした。

 

 

脳の認識のクセと観点の問題。

 

あーこれだと思いました。

 

ここがポイントだと。

 

 

そもそも人間と自然を分けたところから、

 

人間と自然が共生・調和するにはどうしたらいいかを考えていた

その大前提にヒントが罠があったんだと。

 

すべてをHITOTHUの動きから認識できる、それが人間の認識のスタンダードになったところから、

 

人間が観る宇宙としての自然の調和も作って行けると気づき、

 

nTechを学び、活用し、広げていく活動をしています。

 

はじめて足裏マッサージをして

少し前から、足の裏からふくらはぎにかけて、

疲労がたまっていて、痛みが走ったりしていたのが気になっていました。

 

そして、昨日、はじめて足裏マッサージに行きました。

 

足の裏と各体の部位に関連性があることを教えて頂きながら、マッサージをしてもらいました。

 

強くゴリゴリが残っている部分が、

胃、十二指腸、首の部分で、

 

最近、食欲がなかったり、お腹が痛くなったり、首から頭にかけてのコリや痛みがあったので、納得しました。

 

 

一通り、マッサージしてもらう中で、

 

自分の認識の癖と、体の症状、そしてマッサージの方が触って感じることが繋がり、

 

すべて関係性があるのがよく見えました。

イライラする先輩に感謝

これまで学校や職場で、イライラしたりしても、

 

ほとんど怒りを表現せずに我慢してきました

 

 

そんな自分が、最近はどうしても先輩に対してイライラして、それを抑えきれず、強めの口調になったりしていました

 

 

周りからどう思われてるか気になって

 

 

イライラしないようにしてるけど、どうしても我慢できない

 

 

怒りの感情をコントロールできないことに対して、自己否定

 

 

イライラしないように接しようと思って話してみるけど、

 

やっぱりイライラして

 

また自己否定

 

 

 

そんなことを繰り返していました

 

 

 

そんなある時、

 

 

少し観方を変えて状態を観察してみたら、

 

 

なんだか感謝が湧いてきました

 

 

なぜ感謝が湧いてきたかというと

 

 

いろんなことに気づけたからです

 

 

 

まず一つ目は、

 

イライラしていることに対して落ち込んでるのではなく、

 

根本的には、周りからどう思われるか、周りから否定されるんじゃないかというところが気になっているポイントだということです

 

 

イライラして、それを表現すること自体は、

 

 

むしろ、今まで出せずに我慢していたことから観れば、

 

そのまま表現させてくれる先輩という存在にありがたいなぁという思いがありました

 

 

しかも、いつもだったら我慢して、相手の意見に合わせるコミュニケーションになりがちなので、

 

お互いの考えを我慢せずに言い合えるコミュニケーションができて、気持ちがいい面もあったということに気づけました

 

 

なぜこの先輩には、自分を出すことができたかというと、安心感があるからなんだという気づきもありました

 

 

過去の経験イメージから、

 

自分は否定される、責められる、ダメなやつと思われるというパターンがあるのですが、

 

この先輩からは、否定されないと思うことができ、安心があることで、自分の怒りや意見が出しやすい状態にありました

 

 

自由に表現できるためには、安心が土台にあることが必要だと感じました

 

実はお互い自己否定に忙かった笑

この間、友達と話してる中で、面白い発見がありました。

 

お互いにどんな感情・考えが出ているかオープンに話してみたところ、

 

 

基本的には自己否定するのに忙しいことがわかりました。

 

 

自分はみじめな存在だとというアイデンティティの人と、自分は鈍臭い人間だというアイデンティティの人が出会ったときに、

 

それぞれ、

 

やっぱり自分はみじめだ

 

やっぱり自分は鈍臭い

 

と、自己否定しながら、

 

 

相手からはどう思われてるんだろう、否定されてないかな?

 

と相手の反応を気にしている。

 

でも、その相手は自己否定に忙しいので、

 

自分の宇宙の中で取り越し苦労をしていて、

 

一緒にいるのに、全然出会えてなかったね!

 

と気づきました笑

 

 

人間は本当は出会ってるけど、出会ってないんだなぁと感じて、

 

それに気づいてからは、

 

やっと出会っていけるんだなぁという希望が深まりました。

 

 

 

 

 

 

どこの集団にいても家族との関係性を繰り返す

こんばんは

 

 

今回のテーマは『どこの集団にいても家族との関係性を繰り返す』です。

 

 

このテーマについて話す理由は、自分の関係性の作り方に発見があり、家族の中で作った関係性のパターンをどんな組織や集団に入ってもそれしか繰り返していないという気づきがあったからです。

 

 

特に気づいたのは、母さんとの関係性のパターンを繰り返しているんだということに気づきました。

 

 

私の母は、私が生まれてから、すぐに働きに出てきたので、家で一緒にいる時間は少なく、祖母と兄と一緒にいました。

 

 

内心では、母さんと一緒にいたい、母さんにかまってほしい、気にしてほしい、見てほしいという寂しさがあったんです。

 

 

そこで、何か困ったり、何か聞いたり、体調を壊したときには、母が自分に気を向けてくれたり、仕事を休んで一緒にいてくれたりしたことが、内心うれしかったららしく、

 

無意識に、何か困ったことがあったら、母の気を引ける、一緒にいられるという成功パターンを持っていました。

 

だから、できないところ、ダメなところ、困ったことを見つけては、気を引きたい人、一緒にいたい人にそれを投げかけるというのを無意識にやってることに気がつきました。

 

 

家族は、人にとって最初に経験する人間関係であり、集団経験なので、

 

その過去のイメージと繋げで、似たような人を存在させて、同じようなことを繰り返すんだなぁということをしみじみ実感しました。

 

 

感情を生み出すことと感動

先日、感動したことがありました。

 

感情を自らの意思と論理によって生成できたんです。

 

仕事をしている最中に、

 

なんか体が痛く、体調が悪い時がありました。

 

 

その現象に対して、どんな解析が起こって、どんな感情や考えが生まれているのか書き出してみたんです。

 

そうすると、体が痛いのは自分の体調管理がなっていないからだ。自分の考え方や習慣に問題があるという考えが生まれていることに気づきました。

 

とにかく自分が悪かったという観点から出発していて、自分のどこが悪いのかという原因探しを展開させていました。

 

一方でnTechを学んでいくうちに、すべての原因は観点の問題であり、それはだれかが悪いというわけでない。人間の初期設定としてそうなっているということを理解できていたので、

 

 

はっと我に返り、その観点から抜け出すことができました。

 

さらに、自分が悪いとずっと自分を責めて原因探しをしていた自分に対して、

 

「いつまで自分が悪いと決めつけて、ずっと自分責めて、原因探してるんだ。

いつまでもいつまでも自分の原因探しに忙しくて、勝手に落ち込んで、重くなって、ちっちゃくなって、はなから無い自分に原因探すんじゃない!
間違った自己反省やめるんだ!
宇宙の初期設定でしょ!
本当の原因のポジション立たんだ!」

 

という思いが出てきた時に、観点がひっくり返って、

 

感動が起こって、今までの自分を抱きしめつつ、本当にありたい在り方が定まって、じんわりと涙が出てきました。

 

人からのお願いを断れない

「何か頼まれたら断ることができない」これは無意識のうちに私の人生を苦しくていた原因でもありました。

 


何か人から頼まれたときの私の状態は

 

「人の言うことを聞かないといけない」

 

「断ったら相手を悪い気持ちにさせて気まずくなってしまう」

 

という考えとともに、

 

不安、恐怖、焦りの感情が走っていて、

 

次の瞬間には「うん」と小気味のいい返事をするというのを無意識のうちに繰り返していました。

 


これが私の性格なんだと思っていたのですが、

 

それは幼少期に父親や先生との間に作られたパターンを繰り返しているということに気づいてからは、

 

「頼まれた→断る」という選択肢を持つことができるようになりました。

 

 

今では頼まれても、断ったり、引き受けたりすることが自由にできるようになりました。

 

今ではなんであんなに断れなかったんだろうと思うほどです。