令和哲学カフェ 第23回に参加しました!
6月26日【第23回令和哲学カフェ】 美しい考え(3) | 令和哲学カフェ
これまで「一番知恵のある考えの第一号は?」という質問に対して、
瓶と鳥の外に出ることがポイントだとは思っていましたが、なかなかシャープに表現できずにいました。
しかし、今回のWHTを通して、そのポイントがグッと整理されていきました。
ちぐさんの知恵のある考え第一号は「偉大な歴史を作る思考」という主張に対して、
Noh先生は「イスラム教の人たちはイスラム教で世界を一つにすればそれを 偉大な歴史って言ってるんだよね。キリスト教の人はキリスト教で 世界を一つにすればそれが偉大な歴史って言ってるんだよね。だか ら偉大な歴史に対する解析が違うんだよね。それに対してどう答え るのか考えてくださいね。」と言ったのですが、
私はその投げかけを聞いて、 瓶と鳥の中、観点の中、知ってる世界の中では、どんなに美しい考えをしようとしてみても、バラバラだし、独断になってしまうので 、人類75億が納得できる考えにはなれないんだと気づきました。
だから、騙す/騙されるゲームの中にいることを認めて、その外に出て、自分が知ってることはひとつもないという考えから出発することが必要なんだ!と感じました。
今回の最後の方では、「知ってる世界はひとつもないという考えが、どんな意味を持 っているのか?」という質問でディスカッションがありましたが、そ れを考えるのもとても楽しかったです。
私の中で思いついたものは、
まっしろになれる
思い存分愛することができる
知ってる世界で争うのが終わり、チームプレイが スタートできる
新しい可能性が開いていくというものでした。
考えていけば行くほど、まったく新しい世界がどんどん広がっていくようなワクワク感を覚えました。
最後のQ&Aの時間では、「知ってる世界はひとつもないというのを聴くとソクラテスを、思い出しますが、 なぜそれが古代から今まで広がってないのでしょうか?」という質問がありました。
それに対してNoh先生は、「1だけがある、その1ディファインできなかったからであり、令和哲学は無定義→認識不可能を定義することに成功したので、共有することができる。今までの学問も無駄にせず、それと繋げて鮮明に瓶の中を理解して、瓶の中と外をつなぐことができる」というような話をしてくれました。
私は、それを聞いて1をディファインできることの価値を感じましたし、今までの哲学や科学を無駄にせず、それ全てを底上げできる令和哲学の奥深さや愛を感じました。
次回は、月曜日なのですが、最近令和哲学カフェが生活に溶け込んできてるので、待ち遠しいです
ありがとうございました^_^
令和哲学カフェ 第22回に参加しました!
これからの常識にとどまらない考え方・生き方・ものの見方・聞き方・学び方のヒントがたくさんつまった令和哲学を通じて交流できるのが「令和哲学カフェ」です。
6月25日【第22回令和哲学カフェ】 美しい考え(2) | 令和哲学カフェ
参加した感想を一言で言えば、
考えを考えながら人の話を聞いてパニック状態
です。。。笑
パニックになりましたが、ファシリテーターのNoh先生から、
「テーマ「美しい考え」は全5回のうちまだ2日目なので、パニックになって全然大丈夫ですよ。焦らず焦らず」
という話を聞いて、安心して終えられました。
今回は、少しまとまりのない文章になるかもしれませんが、私が参加して気づいたこと、感じたことをいくつか書いていきたいと思います。
まず、1つ目。
自分の頭で考えながら、話を聞くので話がごちゃごちゃになり、話が聞けてないことによく気づきました。
ファシリテーターのNoh先生から、WHTの参加者にこんな質問が投げかけられました。
「〇〇さんは何と言いましたか?」
「〇〇さんと〇〇さんの主義主張の違いは何ですか?」
「〇〇さんの主義主張にプラスアルファして〇〇さんを論破してください」
ここで、そもそも〇〇さんがなんて言ったか覚えていない‥!
ということが何度もありました笑
それもそのはず、参加者の方が話しているときに、
自分の中で考えを走らせているので、その間は相手の話が入ってきていないんですよね。
当たり前といえば、当たり前ですが、実は日常でもこういうことがよく起こっているなぁと感じました。
そして、2つ目。
Noh先生のディスカッションを深めるファシリテーション能力のすごさを感じました。
そのように感じた場面はこんな感じです。
WHTの中で、まず、Noh先生が1人の主義主張について、4人から論破するように質問しました。
次に、その論破されて、やられそうになっている人の心も読み、その人と同じ意見を持っていた人に質問を投げました。
それは、論破されている人を応援させようとしていたからだという意図を聞いて、
一人一人の心や場全体の状況を確認しながら、ひとつひとつの質問にしっかりとした意図が書かれているんだなと感じ、驚きました。
3つ目。
昨日に引き続き、考えたこともない質問が飛んできて、驚きとワクワクがありました。
それは、考え第一号とは何なのか?何が知恵ある考え第一号なのか?
という質問です。
こんなこと考えたこともなければ、質問すら思いつきません。
おかげで考えがないところから、考えというものを観るきっかけになりました。それは、考えの前段階です。
しかし、WHTの中で、参加者の一人が考えの第一号だと主義主張したことに対して、もう一人の参加者が「その考え第一号の前にある、考えの前提自体が考え第一号じゃないか?」というツッコミが入ったことで、考え第一号を規定するには、考えの前提すらないところから考えなければ、考え第一号を規定できないのではないか?というふうに感じました。
今日は、時系列的な観点で、何が考え第一号にふさわしいのかを深めていっている印象でしたが、
次回からは、哲学的な観点で知恵ある考え第一号とは何かが深まっていくのではないかと期待しています。
批判は批判でも形式的な批判と内容的な批判という2種類の批判の話が出ましたが、それを使って整理してみると、今日WHTは形式的なディスカッションで、明日からは内容的なディスカッションに入っていくのかなぁというのを感じた次第です。
明日あたりから考えがどんどん整理されていくのでないかと楽しみです!
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
令和哲学カフェ 第21回に参加しました!
これからの常識にとどまらない考え方・生き方・ものの見方・聞き方・学び方のヒントがたくさんつまった令和哲学を通じて交流できるのが「令和哲学カフェ」です。
今回は新しいテーマ「美しい考え」の第1回目でした。
6月24日【第21回令和哲学カフェ】 美しい考え(1) | 令和哲学カフェ
参加した感想を一言で言えば、
考えとは何なのかわからないまま考えてるのはやばい!
です。。。
今回は、私が参加して気づいたこと、感じたことをいくつか書いていきたいと思います。
毎日、毎瞬起きている「考え」を見直すきっかけになりました。
まず今回は、考えの素材of、仕組みby、目的forとは何なのか?という質問で、
WHT(令和哲学カフェのメソッド | 令和哲学カフェ)というコミュニケーションワークが始まりました。
この質問を聞いて、そもそも今まで考えに対して考えることもなければ、考えの素材や仕組み、目的について考えたり、理解したりすること自体がなかったなと気づきました。
また、WHTを通して、人間は毎瞬考えを走らせているのにもかかわらず、考えが何なのかわからない状態で考えてるんだということに愕然としました。
考えが何なのかわからないまま考えて、自分が何をどのように考えているのかもわからず、お互い主義主張している状態でコミュニケーションしているわけですが、それをコミュニケーションと言えるのかと思いました。
さらに、言葉や概念ひとつとっても、一人一人バラバラのイメージを持っていることにも気づき、ますますコミュニケーションがズレることがあたりまえに起きているんだということに気づきました。
最後には、Q&Aの時間がありましたが、
令和哲学者のNoh先生が、日本は考え感情を切って、アメリカの言う通りにして我慢して耐え忍んできた。だから考えができないようになっているし、ひとの話を聞くのが難しくなっている。
そんな日本のストーリーや背景を聞き、自分の人生の決断やストーリーとも繋がりを感じました。
焦らず、楽しみながら、日本の考え・感情・哲学を底上げし、爆発させていきたいと思いました。
今回は、初回ということもありカオスな感じになった印象でしたが、明日も更にどんなカオスや、気づき、整理が起きてくるのか楽しみです!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
令和哲学カフェ 第20回に参加しました!
これからの常識にとどまらない考え方・生き方・ものの見方・聞き方・学び方のヒントがたくさんつまった令和哲学を通じて交流できるのが「令和哲学カフェ」です。
今回は「尊厳」のテーマの第5回目(まとめ)でした。
参加した感想を一言で言えば、
尊厳が底上げされる回でした!
今回は、私が印象に残ったポイントをいくつか書いてみたいと思います。
まず印象に残ったこと1つ目は、
令和哲学カフェ発起人でファシリテーターのNoh先生から飛んできたこんな質問でした。
それは「自分が人間が科学技術の開発対象になるとしたら気持ちいいですか?」
という質問です。
私はそのことをイメージして考えてみたのですが、とても気持ちいいとは思えませんでした。
そしてどこか人間の尊厳が破壊されるような感覚を覚えました。
でも次の話を聞いたときに、その感覚が消えていったのです。
科学技術は「認識対象」を開発するもので、
科学技術の開発対象にならないもの=科学技術では開発不可能もの=「認識主体」
を開発するのが哲学です。
この論理展開で、改めてこの話を聞いた時に、科学技術の明確な限界と、この時代に哲学が必要だということを感じることができましたし、
哲学によって人間が尊厳を獲得し、尊厳のある生き方ができるのだと感じました。
印象に残ったこと2つ目は、Noh先生による「尊厳とは?」に対する解説です。
6つの項目で整理されていましたが、その内容自体がすごく尊厳を感じるものでした。
最高の結集と生産を生み出す認識能力という規定や、既存社会で使われているる尊厳という概念も整理しつつ、令和哲学から観たら尊厳以外はないという明確な言い切りや確信にも感動しました。
令和哲学カフェでは、合間合間でディスカッションしたりする時間があるので、自分でも考えたり整理してみたりするのですが、Noh先生は、毎回、どうしてこんなにシャープな整理ができるのだろうと驚くことばかりです。
また、Q&Aの時間で印象的だったのは、
「尊厳関係がないことが実は最悪の地獄」という話でした。
私自身、尊厳関係がないことが前提で、尊厳関係があることの天国を意識することはありましたが、
尊厳関係があるところを前提にして、尊厳関係がないことの地獄をイメージしたことがありませんでした。
なので、尊厳関係がないことが地獄だという表現を聞いて、ハッとし、どういうことか理解したいという気持ちが芽生えました。
Noh先生の話を聞いていくと、
尊厳関係がない状態は、お互い人間がなんなのかわからない、どこからどこに向かっているのかもわからず、人工呼吸器をつけられて無理やり生かされているような状態。そして、騙す/騙されるゲームの中で愛したくても愛せないし、実は傷だらけになっている状態だということを認識できたのです。
尊厳や尊厳関係の必要性を感じることができました。
最後には、Noh先生から、
次回のテーマ「美しい考え」に対して、
「地球上に生まれたたくさんの人たちの考えがありますが、地球上に生まれたどんな考えよりも美しい考えをやってみようと思いませんか?」という投げかけがありました。
私は、この質問自体が美しくて、香り高くて、感動してしまいました。
正直、「考え」ひとつに対して、そこまで深く考えたことがなかったですし、普段何気なくしている「考え」に対して美しさを追求したことがありませんでした。
でも、一人一人の「考え」ひとつもそんな美しい考えにできたら、人間社会はどんなに希望に変わっていくのだろうと思いました。
明日からの新しいテーマ「美しい考え」
どんな気づきがあふれるか楽しみです!
令和哲学カフェ 第18回に参加しました!
これからの常識にとどまらない考え方・生き方・ものの見方・聞き方・学び方のヒントがたくさんつまった令和哲学を通じて交流できるのが「令和哲学カフェ」です。
今回は「尊厳」のテーマの第3回目でした。
参加した感想を一言で言えば、
とにかく考えるのが面白く楽しかったです!
令和哲学者であるNoh先生のカント哲学・観点の整理から始まりました。
認識対象の開発から認識主体の開発が必要であり、人間は体の外側を認識対象、体を認識主体にしていたところから、それらすべてを認識対象にすることが西洋哲学をシンプルに理解する上で重要であるというお話がありました。
認識対象は、認識主体と認識形式が出会った結果であり、
それを人間に例えるなら、認識対象は思い込みの主体、認識形式は事件の主体、認識主体は解析の主体。
それをパソコンに例えるなら、 認識対象が画面、認識形式がアルゴリズム、認識主体が電気。
これらの関係性のイメージがかなり整理されてきたことで、
本当の認識主体が、認識形式も作って、認識対象も作って、すべての状況から場面から登場人物までを作って、
その壮大な映画の中にはまり込んでいるのが、この世界の全体像なのかなというイメージが湧いてきました。
そこから、
「尊厳は実在するのか、要請された概念なのか?」という質問が投げられました。
その質問を聞いた時、これまでそんなことを考えたことも、聞いたこともない質問だったので、すごく考えるのがワクワクしました!
その質問に対して、YouTubeのコメント欄でコメントしていると、コメント欄がどんどんどんどん白熱 してきて、
実在とは何なのか、尊厳とは何なのかの定義によって、全然意見が変わることを感じました。
WHTというコミュニケーションワーク
(令和哲学カフェのメソッド | 令和哲学カフェ)を通しても、
どんどん実在とは何なのか?というポイント に議論のポイントが集約されていきます。
そこで、Noh先生が、実在とは何なのかをテーマに、形而上学とポストモダニズムの観点を、瓶の中の鳥から外を見るのか、瓶の外から瓶の中を見るのかと繋げて話をされ、
その話を聞きながら、この観点の問題にみんなの集中や理解を持っていくためにこの質問を投げていたのか!!!と思って、その意図にびっくりしましたし、 鳥肌が立つような感じでした。
次回は、
模様形が実在なのか?
点も線も面も立体もないけど何かがあるその何かが実在なのか?
それらをイコールにさせる、成り立たせるものが実在なのか?
というテーマをお話をされる予定です。
自分自身でこれをしっかり考えてみたいと思います!
もう3日後待ち遠しいです!
日本式ロックダウンと世界基軸教育28日間プログラム
この28個の質問だけでも、
本当の答えを知ることができたら、
面白いと思いませんか?
ものすごく意識が広がると思いませんか?
緊急事態宣言が出て、2週間あまり経ちました。
このままのwithコロナと呼ばれるようなマネジメント路線で
コロナウィルス、世界経済大恐慌、心の不安恐怖を制圧することは可能でしょうか?
私は不可能だと思っています。
今、現役医師の長岡美紀先生を代表にして、
【日本式ロックダウン1000万署名運動】が行われています。
短期間集中でどんどんクローズ界を作ってウィルスを制圧して戦略です。
海外のロックダウンと日本式ロックダウンの違い
署名が集まり、日本式ロックダウンが実行できたならば、
期間中は28項目の質問の答えを得られる
【世界基軸教育28日間プログラム 】を行なう予定です
プログラムの一部内容
一の理解(1日目)
真の人生はゲームチェンジからやっと始められる。その理由とは?
二の理解(2日目)
“犬が尻尾を振る理由”がわかれば自然に幸せになれる。その根拠とは?
三の理解(3日目)
考えの出発点(思考の根拠)観察の出発点(観察の根拠)とは?
四の理解(4日目)
ニュートン力学、量子力学、ヒモ理論、M理論の違いと共通点を通した力の秘密・コロナの秘密とは?
五の理解(5日目)
究極のシンプル状態はどんな状態なのか?コンプレックスをシンプルにさせる方法とは?
六の理解(6日目)
どこまで知れば完全に分かったと言えるのか?知っている世界から自由になることの意味価値とは?
七の理解(7日目)
時間とは何なのか?時間が生まれる仕組み、時間から自由になれる方法とは?
八の理解(8日目)
物質とエネルギーと心の関係とは?
九の理解(9日目)
陰陽五行を成立させる一つの動きとは?
十の理解(10日目)
数学の難題であるフェルマーの定理とガロア論とABC予想を一つの動きで整理する方法とは?
十一の理解(11日目)
この現実は決定論で成り立つのか?自由意志で成り立つのか?
十二の理解(12日目)
物理学者の永遠不変な関心主題である「運動」とは?
十三の理解(13日目)
ポストコロナ時代の学問とは?宗教と科学の融合は可能なのか?形而上学とポストモダニズムの融合は可能なのか?数学と哲学の融合は可能なのか?全ての知識の大統合の道はあるのか?
十四の理解(14日目)
脳と心の関係性、人工知能と人間の関係性とは?
後半
十五の理解(15日目)
すべての意味価値はなぜ、どのように誕生するのか?
十六の理解(16日目)
人間関係が平和になり尊厳関係になるために必要な絶対条件とは?
十七の理解(17日目)
人類が完全な勝利を得るためにはどうすればいいのか?
十八の理解(18日目)
人を集中・緊張させる方法とは?
十九の理解(19日目)
免疫力を高める方法、免疫力の秘密とは?
二十の理解(20日目)
健康・幸せなライフスタイルの全体像とは?
二十一の理解(21日目)
SDGsを満たしながら雇用問題を解決できる経済モデルとは?
二十二の理解(22日目)
アポリア時代のリーダーシップの本質とは?
二十三の理解(23日目)
最高の結集と生産を誕生させる最高の組織システムとは?
二十四の理解(24日目)
政治に無関心な若者をゼロ化させる本物の民主主義の具現化のために何が必要なのか?
二十五の理解(25日目)
少子高齢化を解決するためには?
二十六の理解(26日目)
デジタル思考方式がつくり出す尊厳文明とは?21世紀、今の時代の課題とは?
二十七の理解(27日目)
新しい時代を拓く中心主体勢力はどのように誕生するのか?
二十八の理解(28日目)
世界基軸教育とは?
一刻も早いロックダウンが必要です
【日本式ロックダウン署名ページ】
https://bit.ly/39E1Deu
よろしくお願いします
明るく振る舞わないといけないのをやめられた話
最近、明るく振る舞わない
元気に振る舞わないといけない
と無意識に思ってることによく気づくことがありました
思えば、小さいころから、
誰かに会ったら常に
相手に嫌われないように
相手から悪く思われないように
相手から気に入ってもらえるように
笑顔をして振舞っていました
それで人間関係がある程度うまくいっていたので、自分にとっては、できるだけ円滑に人間関係を築いて生きていくためには、いい道具となっていました
でも、それを無意識に続けていると、
人と出会うという条件と出会ったら、
オートで笑顔をして明るく振る舞うようになり、
疲れていても、笑いたくなくても、どんなに不安でも、笑顔をしてしまう
ということがどんどん当たり前になりました
疲れている時には、無理に明るく振る舞うことで、疲れがさらに溜まり、
誰かに会おうとすると、疲れるイメージが付くようになり、
できるだけ、人と会いたくないという心の状態が育っていきました
思えば、私が人に会ったら笑顔をするようになった背景には、
不安や恐怖の感情があったからです
「相手に否定される」のが怖かったのです
これまで何度もブログで書かせていただいていますが、
無意識に「ありのままの自分は絶対受け入れてもらえない」というブレーキがあり、否定される自分と、否定してくる相手という関係性のイメージが根底にありました。
だから、否定されないように、否定されないように、笑顔をして明るく振舞っていました。
そのことに気づいてからも、なかなか無意識の条件反射をやめられず、苦しんでいました。
ですが、最近少し変化がありました。
相手からどう見られるか
という基準から、
まずは自分自身をどう認識するのかというところに基準点がシフトしたからです
今までは、相手から否定されるという前提のもと、そこを基準に、自分の行動や言動を判断し、否定していました。
それをやめて、
どんな行動や言動に対しても、自分自身の事情や背景に寄り添って観てみることをやってみたところ、
目に見える部分ではなく、
背景から自分自身を肯定することができ、
心の奥から涙が出てきました。
周りから否定されることを怖がっていましたが、
否定されたという思いが出る根っこは自分自身が作っていて、こんな風に肯定する感覚があるんだと気づきました。