kenyaのブログ

30歳日本男子。ダイナミックに、革命的に、創造的に、爆発的に生きたいのに、我慢して合わせるばかりの人生。このままじゃ死ねないから踏ん張る姿をありのまま綴る成長ブログ。

【第25回 令和哲学カフェ】 思考の美学 #5 に参加しました!

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【第25回 令和哲学カフェ】 思考の美学 #5 に参加した感想を書いていきたいと思います。

 

 

体も含めて、この現実は観点の結果物、認識対象であり、それは科学の開発対象領域ということが深まった。

 

この領域をいくら開発してもも、AIには負ける。ここを開発する場合じゃない。

科学では開発不可能な認識主体を開発するべきだと感じた。

 


その認識対象、観点の中(瓶鳥の中)は地獄だ。

 

人間は騙す/騙されるゲームでありながら、それに全く気付いていない。

 

観点が違うのに、違う考えと出会うと、摩擦衝突、争い、嫉妬、戦争。

 

それで愛したくても愛せない。

 

体にとらわれて、いつも条件反射。

 

考えが何なのかわからず、なんの意図もなく考えが生まれて、考えに支配されている。

考え一つも統制できない。

 

地獄を認識したときに、それがひっくり返る。

そう感じたのは、「真善美聖和」の話を聞いたから。

 

すべての知ってる世界は観点の結果物、認識の対象だから、本当に知ってることはひとつもないんだとわかる「真」の世界。


この地獄の世界を天国にさせるためにあるべき世界、「善」の世界。

宗教的神よりも1千兆倍すごすぎる存在、すごすぎるから脳ではイメージ不可能、認識不可能、感じること不可能、それが夢を見ている。

瓶鳥が映画になるから、最悪の地獄が最高の天国になってしまう。これは美しい。瓶鳥はないが、瓶鳥を壊していない。こんなプロセスを創造する真理にまた感動。

 

そして、さらに宇宙を点の中に入れて、1対1の対称性ですべてを観る「美」の世界。

 

存在不可能なのに存在するっぽく認識できる神秘神聖。

物理現象で見たらなんの意味価値もないのに、そこに意味価値をつけて戦争や切腹までしてしまう、摩訶不思議、神秘神聖の「聖」の世界。

 

無限大ある違い、観点のストーリーがオーケストラのように調和する「和」の世界。


これらを通して、地獄が見事に自然と天国になってしまう。

 

 

自由と道徳が相反するものだったこれまでの哲学の限界。

それに対して、「令和哲学は自由と道徳が一致する」という令和哲学者Noh先生の言葉に、人類72億がみんな幸せになる、そんな人類の希望を感じた。

 

 

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