人にどう思われるか? 反転ストーリー
私は、とにかく周りにどう思われるか?を気にして、人に合わせ、我慢をして、人と繋がれないことを繰り返してきました。
それは、育った環境と、小さい頃のショックな出来事で、自分自身を決めつけたところから、始まりました。
まずは、育った環境からお話ししたいと思います。
私は、秋田県仙北市西木町の生まれで、周りは山に囲まれ、あたりは一面田んぼというような田舎で育ちました。
家族は、祖父、祖母、父、母、兄の6人家族。
隣近所はみな親戚のように距離が近かったです。
救急車が来たら、誰が運ばれたのかリサーチが始まり、あっという間にしれ渡ったり、
あそこの家の息子は、あの学校に行って、部活は何をやっていて、大学まで行ったけど、大したところに就職できなかったみたいとか
とにかくお互いのことをよく知っていて、いろいろと噂をしていました。
その中で子供ながらに感じたことがありました。
電話でも、玄関も、家の外の人と話している時には、高い声で、笑顔で、気持ちのいい言葉を投げかけていても、
ふと話が終わると、そのひとの愚痴が始まったり、本音が出て来ます。
それをずっとみていた私は、人って口ではいいこと言ってても、腹のなかでは悪く思ってるんだなあと、怖くなりました。
だから、家の外の人といるときは、おとなしく、笑顔をするようになりました。それがあたりまえでした。
とにかくどう思われるか?気にする私になった経験体験は、
家の中で自分のやりたいようにやっていたら父に大きな声で怒鳴られ、
自分がやりたいことをやって何が悪いんだ!と
泣きながら、喚いて、叫んで、自分の全てを使って反発することを何度も何度も繰り返しました。
それでも、父には全く響かず、伝わらず、
その時、
自分がどれだけ心の底から叫んでも、何も伝わらないんだ。
この現実に自分の意思を反映することなんて不可能なんだ
ありのままの自分は絶対受け入れてもらえない。もう人に合わせて生きるしかないんだ
と、自分に対して決めつけました
そんな私は、人にあっても自分の意見は言わずに、とにかく人に合わせて合わせて、自分の心は心の奥底に閉じ込めて、いつもつまらなく、心は泣いていました。
誰かと一緒に食事をしていたら、水を取りに行くことも、トイレに行くことの一言も言えず、我慢するほどでした。
そんな私は、自分が生まれてこの日本に対してある矛盾を感じていました。
それは、戦前の日本人からは、誇りやプライド、武士道の精神を感じる
だけど、今の日本人はなんでこんなに自信がないんだろう、日本人でありながら、日本か切り離されているようなそんな矛盾を感じていました。
その日本の和心や、戦争で死んでいった人たちのすべての思いを今ここに引っ張って、平和を作りたい、そう思って、そんな生き方をざかしていましたが見つかりませんでした。
そんな時、認識技術に出会いました。
そして、すべてをAllゼロ感覚化することができました。
そこから、この現実は自分が作っている自分の宇宙であり、自分の意思で、再創造することができるんだと気づきました。
そして、韓国人でありながら、日本の涙と、日本の可能性を語るNohさんの話を聞いて、
無意識深くにある、日本の涙悔しさ可能性がどんどん意識化され、
悔しさで涙が止まりませんでした。
そして、すべての問題の根本原因を切ることができるこの認識技術と、
日本の和心、涙、可能性、全てを使って、世界をひとつにできるんだ。
まさか、そんな最高の生き方が自分の人生のストーリーになるなんて、
その確信と希望を発信し、活動しています!